徐矯

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徐 矯(じょ きょう、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。父は徐琨。祖父は徐真。祖母は孫堅の妹。兄弟姉妹に徐祚徐夫人陸尚の妻、後に孫権の妻)。

生涯[編集]

孫権の妻となった徐夫人の兄で、父が孫策黄祖攻めで戦死したため、跡を継いで爵位を継承し、山越族討伐で武功を立てて偏将軍に任命された[1]

脚注[編集]

  1. 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、160頁

参考文献[編集]