徐 矯(じょ きょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。父は徐琨。祖父は徐真。祖母は孫堅の妹。兄弟姉妹に徐祚・徐夫人(陸尚の妻、後に孫権の妻)。
孫権の妻となった徐夫人の兄で、父が孫策の黄祖攻めで戦死したため、跡を継いで爵位を継承し、山越族討伐で武功を立てて偏将軍に任命された[1]。