彦根藩士76名追放事件

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

彦根藩士76名追放事件(ひこねはんし76めいついほうじけん)とは、延宝6年6月22日1678年8月9日)に近江国彦根藩で発生した事件である。

概要[編集]

近江国彦根藩ではこの頃、第4代藩主・井伊直興の治世下にあったが、藩士76名が生活の困窮を理由として直興に対し、8000両に上る拝借金を要求する訴えを起こした。この76名は、かつて直興の祖父である第2代藩主・井伊直孝の時代に大坂の役で多大な軍功を挙げた藩士の子孫たちであり、高名衆とそのために呼ばれていた。井伊氏は初代・井伊直政徳川家康の命令で甲斐武田氏などの大名家から家臣を召し抱えたりしていたが、その中でもこの高名衆は厚遇されていた面々である。特権として仮に重罪を犯しても、厳罰に処すのが難しいというものまで与えられていたと言われるほどであった。とはいえ、そのように特権まで与えられている高名衆がこのような訴えを起こしたことに直興は激怒し、幕閣と密かに図って内意を得た上で、この76名を井伊家中から追放する処分を下した。

土芥寇讎記』によると、この事件は他の大名家の間でもかなりの噂になったという。そして、同書の著者はこの追放について「天下の誹り」であると悪し様に描いている。この事件は彦根藩にとっては非常に外聞が悪く、藩主の権威を著しく損なうことになった。事件から20年ほどたった元禄10年(1697年)、直興は徳川綱吉の命令で大老に就任することになったが、それに相応しい経歴のためにはこの汚点とも言える事件を清算する必要に迫られ、やむなく追放した76名を許して再度、召し抱える命令を出すことで幕引きを図っている。