張超 (後漢)
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張 超(ちょう ちょう、? - 195年)は、中国の後漢末期の武将。兄に張邈。字は景明(けいめい)[1]。
生涯[編集]
広陵郡太守となり、臧洪や袁綏といった名士を登用した[1]。190年に諸侯による反董卓連合が起こると、兄や曹操らと共に参加する[1]。193年に曹操が徐州の陶謙を攻めると、兄を説得し、曹操配下の陳宮と通じて反乱を起こし、呂布を迎え入れて兗州を支配した[1]。しかし曹操の巻き返しを受け、張超は兄の命令で雍丘に立て籠もったが4ヶ月間の籠城戦の末に力尽きて自害し、曹操により三族も皆殺しにされた[1]。
『三国志演義』では董卓討伐の連合軍の際には第11鎮として洛陽に進軍。他は史実通りである。