張美人 (孫皓)
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張美人(ちょうびじん、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の第4代(最後)の皇帝・孫皓の美人。美人とは中国における皇妃の位を意味する。
生涯[編集]
呉の侍中として孫皓に仕えた重臣・張布の娘で、美人にされて孫皓から寵愛を受けた[1]。しかし父の張布は孫皓によって264年に殺され、張美人は孫皓に対して「父は悪者に殺された」と皮肉を言ったので孫皓の怒りを買って撲殺された[1]。
ところが孫皓は自ら撲殺したにも関わらず、彼女の容姿を忘れられず木彫りの人形を作らせて傍らに置き、さらに張布の縁者の生き残りを探させて馮純に嫁いでいた姉(左夫人張氏)を略奪して自らの左夫人にして、奢侈に溺れて国家財政を破綻させた[1]。後に左夫人も死去し、孫皓は喪に半年も服したというから[1]、張美人はかなり寵愛されていたものと思われる。