張粛
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張 粛(ちょう しゅく、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。弟は張松。子は張表。字は君矯(くんきょう)[1]。劉璋の家臣で別駕従事、広漢太守[1]。
生涯[編集]
益州蜀郡の出身[1]。弟の張松と対照的に威厳があり立派な容姿をしていたという[1]。208年に曹操が荊州を制圧すると劉璋の命令を受けて曹操への使者として立ち、兵300人と蜀の貢物を献上して曹操から喜ばれ、広漢郡太守に任命された[1]。
211年、弟が劉備に内通して益州入りを画策している事を知ると、自身に累が及ぶ事を恐れて劉璋に密告し、張松は劉璋に捕らえられて処刑された[1]。
『三国志演義』でもほぼ同じで、弟と酒宴をしていた際にその懐から落ちた劉備宛の内通の手紙を手に入れて劉璋に届けている。