平野洋二
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平野 洋二(ひらの ようじ、1985年1月22日 - )は、日本のミュージシャン、鼻歌作曲家。鹿児島県枕崎市出身。鼻歌作曲理論(=平野理論)の提唱者。日本円錐角膜患者会の代表。
来歴[編集]
1985年(昭和60年)1月22日生まれ。鹿児島県枕崎市出身。幼少期からオリジナルの鼻歌を口ずさむことを得意としており、12歳頃からカセットに録音し始める。14歳で同級生とコピーバンドを結成し、ギターを担当。 19歳になった2004年、鹿児島キャパルボホール[1]に出演。しかし、円錐角膜という目の病気の発症・悪化によりバンド活動や楽器演奏を断念し、鼻歌作曲に転身。本格的に活動を始める。2022年12月1日に1stアルバム『鼻歌の季節』を発売。
音楽歴[編集]
- 幼少期よりオリジナルの鼻歌を楽しむ癖があったが、作曲という意識はなかった。
- 1997年(12歳) 兄の影響でエレキギターを始める。鼻歌をカセットレコーダーで録音し始める。
- 1999年(14歳) 同級生とフォークデュオ「19」のコピーバンド「scratch」を結成(ギター担当)。中学校の文化祭で演奏する。
- 2004年(19歳) 鹿児島キャパルボホール[1]に出演。同じ頃「円錐角膜」という当時認知度の高くない病気が発症・悪化したため、当出演を最後にバンド活動及び楽器の演奏を断念。楽器を使用しての作曲が難しくなったことに悩んだが、「鼻歌で名曲を作る」と決意。鼻歌作曲に専念し始める。
- 2008年(23歳) PoujiPirafuとしてソロ活動(JOYSOUNDカラオケ配信あり)[2]。
- 2009年(24歳) 結婚。新曲「Queen」発表。
- 2012年(27歳) 音楽の夢を諦めきれず地元鹿児島から福岡へと飛び出したが、家族に説得されたこともあり鹿児島に帰郷。VOAT福岡校[3]に鹿児島から通う日々を送る。→「oneself~絆~」(2014年発表)には、その当時の思いが込められている。
- 2014年(29歳) YouTubeへ鼻歌楽曲配信開始。
- 2015年(30歳) T&E corporationにて作詞家として活動開始。
- 2016年(31歳) 「みんなが音楽家のんのんじゃんるプロジェクト、作詞家オーディション」に合格。現在も活動中[4]。
- 2020年(36歳) 「music planet」オーディション合格。活動計画検討中。
- 2022年(37歳) 4/1 鼻歌作曲理論(平野理論)を公式HP等で提唱。→「Feel Alive」(2014年発表。19歳時に作詞作曲)にて理論(Theory)の変革について歌っている。同年12/1、1stアルバム『鼻歌の季節』を発売。
- 2023年(38歳) 8月にミュージックユニバースに所属。同年9月、明石昌夫氏プロデュースの新曲「天国からのラストソング」をYouTubeで公開。
メディア出演[編集]
- 城山スズメ「もしもしスズメ電話でボンジョルノ」
作品[編集]
脚注[編集]
- ↑ a b “県下最大級ライブホール” (日本語). 鹿児島SRファクトリー. 2022年12月28日確認。
- ↑ https://www.joysound.com/web/search/artist/66308
- ↑ https://www.voat.co.jp/fukuoka/
- ↑ a b https://nonnongenre.com/site/audition/
外部リンク[編集]
- 平野 洋二 /鼻歌作曲家
- 平野洋二(Youji Hirano)Official Channel - YouTube
- 平野洋二(Youji Hirano) @鼻歌作曲家(@poujipirafu) - Twitter
- 平野 洋二 - Facebook
- 平野洋二応援団 ファンティア[Fantia]
- youjihirano (@youjihirano) - TikTok
- 円錐角膜とは