平山成信
ナビゲーションに移動
検索に移動
平山 成信(ひらやま なりのぶ、嘉永7年11月6日(1854年12月25日) - 昭和4年(1929年)9月25日)は、日本の官僚。内閣書記官長、内閣総理大臣秘書官、貴族院勅選議員、宮中顧問官、枢密顧問官等を歴任。男爵。
略歴[編集]
父は江戸幕府の幕臣であった平山省斎[1]。明治政府に仕えて明治24年(1891年)に松方正義が組閣した際に書記官長となる[1]。後に宮中顧問官、行政裁判所長官などを歴任し、貴族院議員や枢密院顧問官となった[1]。日本赤十字社の創立にあたっては社長を務め、大正13年(1924年)2月に男爵を叙爵する[1]。
昭和4年(1929年)5月、胃の病を発して食欲不振や胃痛などに苦しんだという[1]。6月22日に啓明会の饗宴に出席した時の挨拶で「自分は今、胃病を病んでいて西洋料理は食べられない」と語った[1]。このことから、胃病は胃癌[1]であった可能性がある。ただし平山は糖尿病を持病に抱えており[1]、これが体調を著しく衰弱させた可能性もある。そして9月25日に死去した[1]。76歳没[1]。