幣原 新治郎(しではら しんじろう、弘化4年(1847年) - 大正10年(1921年))は、日本の男性。内閣総理大臣・外交官であった幣原喜重郎の父[1]。
男子がいなかった幣原九市郎の娘・幣原静ヅと結婚して婿養子として幣原家に入る。その間に長男・幣原坦、次男・喜重郎、長女・幣原操、次女・幣原節の2男2女に恵まれた。新治郎は非常に厳格で、子供たちに幼い頃から当時としては珍しいくらい高等教育を施すことに熱心だったとされ、それに反対する周囲の親族を押し切ったと言われている。大正10年(1921年)に74歳で死去[1]。