幣原 操(しではら みさお、明治11年(1878年) - ?)は、日本の女性。内閣総理大臣・外交官であった幣原喜重郎の妹[1]。
父は幣原新治郎で長女。母は幣原静ヅ。兄に幣原坦と喜重郎、妹に幣原節がいる。
兄がいずれも実家を出たので、養子を迎えて操が幣原家を継承した。結婚していたが夫は早くに死別したとされ、その後は1人で家を守った。兄の喜重郎より早くに死んだらしく、その死に普段は涙を見せない喜重郎が号泣したという[1]。