幣原 静ヅ(しではら しづ、嘉永3年(1850年) - ?)は、日本の女性。内閣総理大臣・外交官であった幣原喜重郎の母[1]。
父は幣原九市郎で長女。母は幣原ナカ。この夫妻にはこの娘しか生まれなかったので、幣原新治郎を婿養子に迎えている。2人の間には長男・幣原坦、次男・喜重郎、長女・幣原操、次女・幣原節の2男2女に恵まれている。夫と共に学問が大好きで、喜重郎ら子供が幼い頃に『論語』の手ほどきをしたりしたという[1]。