岩松経家
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岩松 経家(いわまつ つねいえ、? - 建武2年(1335年))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。父は岩松政経[1]。
生涯[編集]
新田義貞が挙兵して鎌倉を攻めた際、足利尊氏の命令で新田軍に従軍した[1]。この功績により飛騨の守護職など多くの恩賞を得ているが[1]、これは新田氏の一族である事が影響したものと推測される。
新田義貞が建武の新政に参加するために鎌倉を離れた後も経家は鎌倉に留まり、新設された関東廂番の一員となる[1]など岩松氏は新田氏の流れを汲みながら足利氏に近い行動をしている。
建武2年(1335年)に北条時行が中先代の乱を起こした際、武蔵女影原の戦いで北条軍を迎撃するが大敗し、多くの一族と共に自殺した[1]。