岡田喜藤太
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岡田 喜藤太(おかだ きとうた、天保3年(1832年) - 明治44年(1911年))は、日本の男性。内閣総理大臣・海軍大将であった岡田啓介の実父[1]。
略歴[編集]
父は越前国福井藩藩士の青山弥五右衛門で次男。初名は幸八郎[1]。松平慶永に仕える。
福井藩の郡奉行で250石扶持の岡田喜八郎に娘だけで息子がいなかったので、幸八郎が喜八郎の次女・岡田波留と結婚して婿養子になり、家督を継いだ。この際に姓名を岡田喜藤太と改めた[1]。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争においては新政府軍の一員として農兵を率いて戦った[1]。
明治44年(1911年)に79歳で死去[1]。