松尾稔穂

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松尾 稔穂(まつお としほ、明治10年(1877年) - ?)は、日本女性内閣総理大臣海軍大将であった岡田啓介[1]

略歴[編集]

父は岡田喜藤太で3女[1]。姉に岡田豊穂岡田ます穂。妹に岡田登美穂。兄に岡田啓介・岡田喜又

同じ福井県出身で陸軍軍人であった松尾伝蔵結婚し、3男1女(長男・松尾新一、次男・松尾寛二、3男・岡田修三、長女・瀬島清子)に恵まれている。昭和11年(1936年2月26日2.26事件で夫が決起軍によって殺害された際には、福井の自宅にいて無事だった。急報を聞いてすぐに上京し、首相公邸の兄・岡田啓介の寝室に横たわっていた夫と面会したという[1]

脚注[編集]

  1. a b c 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社、47頁

参考文献[編集]

  • 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社)ISBN 978-4408337180。