岡田 波留(おかだ はる、天保15年(1844年) - 昭和6年(1931年))は、日本の女性。内閣総理大臣・海軍大将であった岡田啓介の実母[1]。
父は越前国福井藩の郡奉行を務め250石扶持を得ていた岡田喜八郎で次女。喜八郎には男児が無かったため、同じ福井藩士の青山家から幸八郎を波留の婿養子に迎えて家督を継承させ、この際に岡田喜藤太と改めさせた[1]。
昭和6年(1931年)に87歳で死去[1]。