尹 楷(いん かい、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。袁尚の家臣で武安県長[1]。
204年に袁尚が袁譚を攻めた際、鄴の守備に審配と蘇由が残されたが、その隙に鄴は曹操の大軍に包囲されたので、武安県長の尹楷は毛城に駐屯して鄴と上党郡の補給路を確保していた[1]。しかし曹操に毛城を攻められて敗北し、以後は行方不明である[1]。
『三国志演義』では毛城の駐屯は審配の進言によるものとされ、最期は曹操の配下である許褚に斬られている[1]。