小出粲
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小出 粲(こいで つばら、天保4年8月26日(1833年10月9日) - 明治41年(1908年)4月15日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての歌人。歌人として宮内省にも努めた人物である。位階は正五位。幼名は新一郎。名は如雲を経て粲となる。
生涯[編集]
石見浜田藩の小出新四郎の子として江戸藩邸で生まれる[1]。幼少期から漢詩や和歌を学んだ[1]。
明治10年(1877年)に宮内省に入り、文学御用係となる[1]。明治14年(1881年)6月に明治天皇が奥羽を巡幸する際に供奉を命じられた[1]。明治19年(1886年)に主殿寮京都出張詰を命じられ、次いで御歌所係を兼ねて侍従所に出仕する[1]。明治21年(1888年)に宮内局御歌所勤務となり、明治25年(1892年)に御歌所寄人、明治33年(1900年)に御歌所主事心得となり、明治40年(1907年)12月に勲四等を賜る[1]。
明治41年(1908年)4月、上野公園での桜見物からの帰途に身体が悪寒に見舞われて体調を崩した[1]。発熱がひどかったため、入沢達吉教授の診察を受けて肺炎と診断される[1]。このため療養生活に入るが、4月15日には危篤になる。小出の危篤が明治天皇の天聴に達すると直ちに正五位に叙せられる[1]。小出は危篤のまま回復せず、同日の午後11時に死去した[1]。享年76[1]。