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安帝 (漢)
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安帝 あんてい | |
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本名 | 劉 祜(りゅう こ) |
性別 | 男 |
年齢 | 33 |
時代 | 後漢時代・前期から中期 |
生年月日 | 永元6年(94年) |
没年月日 |
延光4年3月10日 (125年4月30日) |
死因 | 病死 |
肩書 | 皇帝 |
国籍 | 後漢 |
任期 |
在位:延平元年8月6日 - 延光4年3月10日 (106年9月21日 - 125年4月30日) |
前任者 | 第5代皇帝 - 殤帝 |
後任者 | 第7代皇帝 - 少帝懿 |
配偶者 | 閻皇后、李氏 |
子供 | 順帝 |
親 | 父:劉慶。母:左小娥 |
補足 |
永初(107年 - 114年) 元初(114年 - 120年) 永寧(120年 - 121年) 建光(121年 - 122年) 延光(122年 - 125年) |
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生涯[編集]
第3代皇帝・章帝の孫。父は清河王・劉慶。母は側室の左小娥。父の劉慶は章帝の皇太子であったが、子の無かった章帝の皇后である章徳竇皇后の策略により母の宋氏と共に陥れられ、宋氏は自殺させられ、劉慶は廃太子となって清河王に降格された。そして、章徳竇皇后の養子となっていた章帝の皇子である劉肇(和帝)が皇太子となった。
ところが、和帝は若死し、その子である劉隆(殤帝)も生後100日で崩御したため、従兄の劉祜が後継者となり、第6代皇帝として即位した。即位時は13歳で、これはまだ後漢の歴代皇帝の中では即位時では高い年齢のほうであった。
安帝の皇后は閻姫というが、これが嫉妬心の強い女性で、側室の李氏が劉保(後の順帝)を産むと、閻姫は李氏を殺害した。
また、このような宮中の混乱のため、西方の異民族が内地まで侵入したり、西域の支配力が弱体化して遂に放棄せざるを得なくなるなど、後漢の支配力が弱体化して混乱した情勢が続いた。
125年に崩御。33歳没。安帝には子に劉保がいたが、閻姫の策略により廃されていたので、後継者には別の皇族から少帝が擁立された。しかし、少帝はすぐに崩御し、閻姫の反対派である宦官の孫程により閻姫らが排除されて、劉保が順帝として即位することになった。
宗室[編集]
后妃[編集]
- 安思皇后 閻姫
- 宮人李氏(恭愍皇后の諡号を贈られた)
子女[編集]
- 順帝(劉保) - 母は李宮人
安帝が登場する作品[編集]
- テレビドラマ
- ハンシュク〜皇帝の女傅(2015年、中国、演:王培棟)