和帝 (漢)
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和帝(わてい、79年 - 105年)は、後漢の第4代皇帝(在位:88年 - 105年)。姓名は劉 肇(りゅう ちょう)[1]。
生涯[編集]
父は第3代皇帝・章帝[1]。生母は梁貴人[1]。この梁貴人は父の皇后であった竇太后によって憂死させられていたため、和帝は竇太后によって養育されていた[1]。88年に父帝が崩御したため跡を継ぐが、10歳の少年のために竇太后やその兄の竇憲らによる外戚の後見の名目による専横が始まる[1]。92年、竇氏の和帝弑逆計画を理由にして竇憲以下の竇一族を自殺に追い込み、和帝は政権を奪い返して親政を開始した[2]。
和帝は辺境の人口に応じて孝廉を上げる率を定め、良才や徳行の士を集めたという[2]。105年に崩御[2]。享年27。後継者は長男の劉勝と定められていたが、和熹皇后鄧綏により廃されてわずか生後100日の末子・劉隆が殤帝として即位した[2]。
宗室[編集]
后妃[編集]
- 皇后陰氏(廃后)
- 和熹皇后鄧綏
- 貴人周氏
- 貴人馮氏
男子[編集]
- 劉勝(平原王)
- 劉隆(殤帝)
女子[編集]
- 劉保(脩武公主)
- 劉成(共邑公主)
- 劉利(臨穎公主)
- 劉興(聞喜公主)