孫 夏(そん か、? - 184年)は、中国の後漢末期の武将。黄巾賊の大将[1]。
韓忠が死去すると、残党により後任の総司令官として擁立された。しかし朱儁に敗れて宛県城を追われ、精山で抵抗するがそこでも敗れて1万余りを失い、ここで孫夏も戦死し、南陽郡の黄巾軍は一掃された(『後漢書』)。
『三国志演義』では孫 仲(そん ちゅう)と改名され、趙弘や韓忠と共に抵抗する。最後は敗走中に劉備によって射殺された。