趙 弘(ちょう こう、? - 184年)は、中国の後漢末期の武将。黄巾賊の大将[1]。
184年6月に張曼成が戦死したため、残党により後任の司令官として擁立された[1]。この趙弘は人望でもあったのか南陽郡の黄巾軍は10万に増加し、宛県城で激しく抵抗した。このため朝廷の司令官である朱儁が罪に問われて召還されかけたが、司空の張温の弁護により助けられ、最終的に趙弘は朱儁により斬られた(『後漢書』)。
『三国志演義』には登場しない。