奥宮 正家(おくのみや まさいえ、天文23年(1554年) ‐ 天正14年12月12日(1587年1月20日))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣。通称は蔵人(くらんど)[1]。
土佐国香美郡山田郷楠目を本拠とする国衆の1人で、長宗我部元親に仕えて天正年間に阿波国と土佐国における国境警備を担当し、土佐国安芸郡甲浦の城に在城した[1]。
天正14年(1586年)12月12日、長宗我部信親らと共に戸次川の戦いで戦死した。享年33[1]。