大築 尚志(おおつき たかゆき/なおし、天保6年11月5日(1835年12月24日) - 1900年(明治33年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将[1]。
下総国佐倉藩の藩士の出身で、幕臣に取り立てられた。明治維新後は沼津兵学校の設立に大いに貢献し、陸軍軍人として陸軍中将まで昇進した[1]。
6女の壽天は陸軍大将で内閣総理大臣になった田中義一の妻になっている[2]。明治33年(1900年)に65歳で死去した[1]。