大川小訴訟

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

大川小訴訟(おおかわしょうそしょう)とは、平成23年2011年3月11日東日本大震災発生後、津波により死亡した宮城県石巻市立大川小学校の児童23名の19家族が石巻市と宮城県を相手に23億円の損害賠償を求めた訴訟である。

経過[編集]

  • 2011年
    • 3月11日 - 東日本大震災が発生。それにより起きた巨大津波により児童74名、教職員10名が死亡。
  • 2012年
    • 1月22日 - 石巻市の教育長が「天災と人災、両方の面があった。危機意識を高めておくべきだった」と保護者に謝罪。
    • 10月28日 - 遺族が「大川小は命を守るべき組織として未熟だった」とする独自の報告書を市教委に提出する。
  • 2013年
    • 2月 - 第3者検証委員会が初会合を開く。
  • 2014年
    • 3月1日 - 第3者検証委員会が不十分な防災体制で避難が遅れたとする報告書を石巻市に提出する。
    • 3月10日 - 児童23名の遺族が石巻市、宮城県に約23億円の賠償を求めて仙台地裁に提訴する。
    • 5月19日 - 第1回口頭弁論で石巻市は津波の予見可能性を否定する。
  • 2016年
    • 4月8日 - 仙台地裁で震災当時の校長証人喚問する。
    • 4月21日 - 現場にいた教職員で唯一生き残った教諭の証人喚問を仙台地裁が却下する(教諭の精神疾患が原因とされる)。
    • 10月26日 - 仙台地裁が石巻市、宮城県に対して約14億2660万円の支払いを命じる判決を下す。

裁判の争点[編集]

この裁判の争点は「津波の予見性」にある。午後3時30分頃までに石巻市の広報車が学校前を通って高台避難を呼び掛けていたことから、「津波が大川小に襲来することを予見できた」はずなのに「三角地帯と呼ばれる堤防付近に避難したことは不適当であり、裏山に避難すれば高い確率で児童の被災を免れることは可能だった」というもので、仙台地裁の判決では「津波襲来が予見できた」として過失を認めて賠償責任を命じている。なお、三角地帯に向けて避難を開始したのが午後3時35分、約8.7メートルの津波が児童や教職員に襲来したのはそのわずか2分後であった。

隠蔽工作か?[編集]

この裁判においては石巻市の説明が二転三転するなどした上、事実を隠蔽したとされる疑いも持たれている。ただし、仙台地裁はその主張は退けている。

  • 震災1か月後から石巻市は保護者説明会を始めたが、市の説明には曖昧な点が多く、回を重ねるごとに変遷した点。
  • 児童が学校の裏山に逃げようとした事実をいったん認めながら、「確認できていない」と後に否定し、さらにまた認めた点。
  • 生き残った児童や教職員から聞き取りをしたメモを廃棄していた点。
  • 第3者検証委員会の報告書で責任の所在が明確でないとされている点。

なお、この津波で唯一生き残った教諭(男性)だが、津波に飲み込まれて生き残ったにも関わらず、避難した自動車整備工場の関係者の証言では「教諭は水に濡れていなかった」と述べており、この点も疑問を持たれている。