大島賢三
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大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年(昭和18年)5月14日 - 2021年5月29日)は、日本の外交官。外務省経済協力局局長、国際平和協力本部事務局長、国際連合事務次長(人道問題担当)、オーストラリア駐箚特命全権大使、国際連合政府代表部特命全権大使、国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員、原子力規制委員会委員などを歴任した。
来歴[編集]
広島県広島市出身。生まれてわずか2年3か月後の昭和20年(1945年)8月6日に広島の原爆投下で被爆し、母親を失った。
昭和42年(1967年)に外務省に入り、経済協力局長や国連事務次長を歴任。平成16年(2004年)に国連大使となる。平成18年(2006年)10月の北朝鮮の核実験の際には国連安全保障理事会の制裁決議採択に尽力した。大使として在任中に国連本部で核廃絶を訴える原爆展が開かれることにも尽力した。平成19年(2007年)に退官。その後、国際協力機構(JICA)副理事長、原子力規制委員会委員を務め、平成26年(2014年)には一般社団法人アフリカ協会理事長を務めた。
令和3年(2021年)5月29日午前0時20分、急性大動脈解離のため、東京都内の病院で死去した。78歳没。