善名称院
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善名称院(ぜんみょうしょういん)は、和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺院。真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所であるが、諸説ある。和歌山県の史跡に指定。別称は真田庵(さなだあん)。牡丹の名所としても知られ、城郭風の本堂の八棟造も有名である。
概要[編集]
九度山駅の北西1キロのあたりにある寺院で、元々は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属し、中山道を東上していた徳川秀忠率いる東軍を上田城で阻止した名将・真田昌幸・真田信繁父子が、戦後に徳川家康の命令で九度山に流罪に処され、同地で隠棲した場所として知られている。そのため、別称は真田庵といい、江戸時代中期の寛保元年(1741年)に僧侶の大安が、真田父子の邸宅を転じて寺院にしたのが起源である。
扉には真田氏の六文銭が刻まれた門があり、ここを入ると城郭を思わせるような堂々とした本堂があり、八棟造と呼ばれる複雑な屋根を備えた建物で、軒瓦には菊花の紋章が入っている。
境内には真田宝物資料館、宝篋印塔の昌幸・信繁、そして信繁の嫡男・真田大助の3代にわたる墓、さらに与謝蕪村が読んだという「かくれ住んで、花に真田が、謡かな」の句碑がある。なお、境内は真田屋敷跡として和歌山県の史跡に指定されている。
毎年5月3日から5月5日に真田祭が開催され、当日は境内の墓所で法要した後、三好清海、霧隠才蔵ら真田十勇士、少年武者の行列が市街を練り歩くことになる。