助川海防城
ナビゲーションに移動
検索に移動
助川海防城(すけかわかいぼうじょう)とは、現在の茨城県日立市助川町5丁目10番4号にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
日立駅の西およそ2キロの高鈴山山麓の丘陵地に存在した城である。江戸時代後期の天保7年(1836年)、当時の水戸藩主・徳川斉昭がかつて介川通定という戦国武将の居館があった跡に、当時から外圧の危機で海防を強化する必要性から築城したといわれている。斉昭は国家老の山野辺義視を海防総司に任命し、その後は山野辺義正、山野辺義芸らが引き継いで居城として海防を担当した。
元治元年(1864年)、水戸藩で天狗党の乱が起こった際に落城して焼失した。現在は城跡は公園になっており、その一隅に徳富蘇峰の筆による「助川城址」の碑が建立されており、茨城県によって史跡に指定されている。