出羽松根城

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出羽松根城(でわまつねじょう)とは、現在の山形県鶴岡市(旧櫛引町)大字松根に存在した日本である。

概要[編集]

築城された時期は明らかでは無い。江戸時代前期の元和元年(1615年)に最上義光の甥で、最上家親の従弟にあたる松根光広居城としたとされている。この城があった地点は、赤川西岸にあった東荒屋館西本館などとともに六十里越街道の要衝であった。松根はその後、村山郡白岩城主に任命され、さらに最上氏家老にも任命されたが、元和8年(1622年)の最上騒動と称される御家騒動に巻き込まれて最上氏が改易されると、松根は筑後国柳川藩主・立花宗茂にお預けとなった。

城跡内にある最上院は松根が筑後への配流が決められた際、その家臣らが抗議のために切腹した場所であると伝えられており、正保3年(1646年)になって堂宇が建立されている。また沢口東にある松根庵は、筑後への同行を許可されずに松根に留まった松根夫人が、松根の菩提を弔った場所であると伝えられている。

現在、城跡の一部は赤川の河中となっており、往時の面影はほとんどない。

アクセス[編集]