内田正人 (アメリカンフットボール)

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内田 正人(うちだ まさと、昭和30年(1955年8月9日 - )は、日本の元アメリカンフットボール選手、元アメリカンフットボール指導者。日本大学常務理事。

来歴[編集]

埼玉県生まれ。日本大学豊山中学校・高等学校から日本大学に進み、アメリカンフットボールを開始する。OLのセンターで4年生の時である昭和52年(1977年)に甲子園ボウル出場も、関西学院大学に5連覇を許す結果となった。昭和53年(1978年)に卒業すると同時にコーチに就任し、その翌年には日大職員に就任する。平成15年(2003年)に監督に昇格し、平成19年(2007年)に17年ぶりに甲子園ボウルに進出する。平成28年(2016年)に退任してディレクターとなるが、1年後には監督に復帰する。14年間で5度目の甲子園ボウルでようやく関西学院大学を破り、日大として27年ぶり、監督として初めての大学日本一となった。

平成30年(2018年5月、関西学院大学との定期戦で日大の選手が危険なタックルなどの反則行為をした問題について、当初は自身の関与を否定していたが、一転して2018年5月19日の記者会見で「一連の問題はすべて私に責任がある」と述べ、監督を辞任する意向を示した[1][2]。 5月29日、関東学生アメリカンフットボール連盟は内田に対して、事実上の永久追放処分となる、除名処分とした[3]

詳細は「日大アメフト問題」を参照

脚注[編集]

外部リンク[編集]