六十里越
六十里越(ろくじゅうりごえ)とは、新潟県と福島県を結ぶ峠の一つ。現在では国道252号の一部となっている。
概要[編集]
新潟県魚沼市と福島県南会津郡只見町を結んでおり、古くから中越地方と会津地方をむすぶ重要な街道であった。源義経や直江兼続が経由したとも伝えられている。しかし、急峻で過酷な山道であり、1里が10里にも感じられることから実際の6里という距離を10倍して六十里を越える峠、六十里越と名づけられたという説がある。実際、この峠より北にある国道289号の不通区間が八十里越と名付けられていることから、あながち間違いではないのかもしれない。なお。福島県側は冬季閉鎖となっており、12月から5月にかけては通行止めとなる(正確な期間は各道路管理者の公表次第である)。
国道252号[編集]
前述の通り、地方を結ぶ重要な街道であることから、国道として指定される以前から新潟県及び福島県の両県が整備されていった。昭和33年には自衛隊により工事が行われ(民生支援)、昭和48年に県境が開通した。この開通の記念碑が六十里越トンネルから福島側に出たところに建てられている。記念碑は当時の内閣総理大臣であった田中角栄によって揮毫されている。記念碑周辺は田子倉湖を一望できるスポットになっている。
福島県側は急峻な地形であり、積雪だけでなく落石にも十分注意しなければならない道路である。また、急勾配かつカーブも多く、自動車にかかる負担も大きいことに注意を払う必要がある[注 1]。急峻な地形のためか、雪崩が発生することもあり、令和4年3月には雪崩による橋梁流出が発生した(後述)。
新潟県側は福島県側に比べて比較的穏やかであり、只見線と並走するような線形となっている。田子倉ダムを抜け、六十里越を越える道中はひたすら大自然に圧巻され、その中を穿つような険しい道を走り抜けていくため、峠を折りきった後に見る大白川と入広瀬の町並みはどこか人の温かみを感じることさえある。
雪崩による橋梁流出[編集]
国道252号の橋梁である「あいよし橋」が令和4年3月に流出していることが判明した。雪崩による流出とみられており、冬季閉鎖中であり、人的被害は無かったのが幸いであったが、近隣の橋梁も被害を受けた。同年7月には橋梁でバイパスしていた旧道を補修し、残存したものの被害を受けた「出逢橋」の復旧工事を行い、片側交互通行かつ夜間[注 2]通行止めとし、モニタリングを行いながらの再開通となった。なお、同年11月には出逢橋の本格的な修理が行われ、工事完了と共に冬季閉鎖期間に移行した。
只見線[編集]
JRの只見線はこの峠を六十里越トンネルと田子倉トンネルで貫通し、地上区間は田子倉無料休憩所付近の僅かな区間のみである。そのため国道が冬季閉鎖のあいだは貴重な交通手段となっている。しかし、豪雪や雪崩などの恐れがある場合は運転見合わせになることもある。
迂回路[編集]
国道252号の南側には国道352号が走っているが、こちらも冬季閉鎖が実施される。また、北側の国道289号に至っては全線開通がまだ先の話となっている。さらに北側に向かえば磐越西線を始め、国道49号、国道459号、磐越自動車道が通年の交通が可能であるが、かなり迂回する経路となる。