全禕
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全 禕(ぜん い、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉・魏の武将。祖父は全琮。父は全緒。弟に全儀。全 輝(ぜん き)とも表記されている。
生涯[編集]
揚州呉郡銭唐県の出身[1]。257年に魏で諸葛誕の乱が起こった際に全禕は全儀と共に呉の首都・建業に残留していたが、この時に全一族内において争いが起きたため全儀と共に母を連れて魏に降伏した[1]。そして諸葛誕の援軍として寿春に入城していた一族の全端・全懌・全静らを鍾会の策略に協力することで降伏に導いた[1]。
『三国志演義』では全端の子にされている。降伏の理由に関しては諸葛誕の乱で援軍の大将になっていたが孫綝から勝利しなければ殺すという圧力を受けていたために魏に降伏している。史実どおり、その後は全一族の降伏に矢文を用いることで寄与している。