免田栄

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免田 栄(めんだ さかえ、? - 令和2年(2020年12月5日)は、免田事件の犯人とされて、死刑囚となった男性。後に死刑囚で日本初となる再審無罪を勝ち取った。

来歴[編集]

熊本県出身。既婚者。

昭和23年(1948年)に熊本県人吉市で一家4人が死傷される免田事件が発生する。事件は同市の祈祷師一家で発生し、夫婦が殺害され、その娘2名も重傷を負ったというもので、免田は犯行を自白したとして強盗殺人罪で起訴熊本地裁八代支部での第3回公判からアリバイを主張して犯行を否認したものの、死刑が言い渡され、事件から4年後に確定する。獄中から無罪を訴え続けて、6度目の再審請求で昭和55年(1980年12月刑事裁判史上で初めて死刑囚に対する再審が決定された。

昭和58年(1983年7月、熊本地裁八代支部は免田の事件当夜のアリバイを認め、自白は信用できないとして無罪を言い渡した。この間、免田は獄中で手記を書き溜めており、それを手記として出版し、各地の再審請求事件を支援し、講演でも冤罪の恐ろしさと死刑の廃止を訴え続けた。免田事件はこの事件の再審公判を担当した元最高検次長検事が「捜査が現在では考えられないほど杜撰で、起訴に必要な裏づけすら警察や検察がほとんどしていなかった」というほど、内容が杜撰なものだった。

令和2年(2020年)12月5日、老衰のため、福岡県大牟田市高齢者施設で死去。95歳没。