光富権之助
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光富 権之助(みつとみ ごんのすけ、? ‐ 文禄元年(1592年?))は、安土桃山時代の武将。土佐一条氏、長宗我部氏の家臣。光留 権之介とも書かれる[1]。
略歴[編集]
土佐国幡多郡佐賀城主で、光富氏は長宗我部氏の分流といわれる。最初は土佐一条氏に仕えて幡多郡中村の山路城を与えられていたが、天正3年(1575年)に幡多郡の一条氏の家臣が長宗我部元親に降伏した際に共に降伏し、元親から佐賀城を与えられた[1]。
元親に従って伊予国攻めや九州戦役、小田原征伐などに参加する。朝鮮出兵が始まると渡海して文禄の役で戦功を立てるも、戦陣の中で重傷を負って帰国途上に陣没した[1]。