何 曼(か まん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。黄巾賊の大将[1]。
黄巾賊の残党で汝南郡や頴川郡で劉辟・何儀・黄邵らと数万の軍勢を率いていた[1]。袁術や孫堅に服属していた時期もある[2]。196年2月に曹操の討伐を受けているが、この際に降伏したのか戦死したのかは不明[1]。
『三国志演義』では第12回で曹操と戦って敗れる。曹洪と互角に一騎討ちする腕の持ち主だが、曹洪がわざと負けて逃げ出したのを追いかけて態勢を立て直した曹洪に斬られた。緑の鎧に鉄棒を武器にして「夜叉」の異名をとっていた。
- ↑ a b c 小出『三国志武将事典』P28
- ↑ 小出『三国志武将事典』P27
参考文献[編集]