今井 左馬助(いまい さまのすけ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。本山氏、後に長宗我部氏の家臣[1]。
はじめ本山氏に仕え、後に長宗我部元親に仕えた。永禄4年(1561年)の元親による土佐郡南部の高知平野平定の際、忠勤に励んだとして所領を与えられた。永禄6年(1563年)に本山茂辰が朝倉城を焼いて本山城に撤退した際、一部の本山軍が一宮の民家を襲撃したり、土佐神社を焼き払ったりしたが、左馬助は一族を挙げて本山軍を撃退する功績を挙げて、元親から感状を与えられた[1]。