仁義なき戦い 広島死闘篇

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仁義なき戦い 広島死闘篇(じんぎなきたたかい ひろしましとうへん)は広島ヤクザ戦争を描いたノンフィクション『仁義なき戦い』を映画化した作品である。「仁義なき戦い (映画)」の続編として製作された「仁義なき戦い」五部作の第二作である。1973年に公開された実録もの映画である。

概要[編集]

朝鮮戦争特需に沸く広島を舞台にしたヤクザ抗争を映画化した。 終戦直後から駅前の縄張りをめぐり博徒の村岡組とテキ屋の大友連合会は一時休戦していたが、昭和27年、村岡組が政治力で広島競輪場の利権を独占したことから、抗争が再燃する。溶接工の山中正治は博奕場のいさかいを元に傷害罪で逮捕された。3年後に仮出所した山中は広島駅前の大衆食堂で無銭飲食し、店の主人・上原靖子と口論したところ、大友連合会・大友長次の実子である大友勝利らに袋だたきに遭う。靖子は深傷を負った山中を、自分のアパートで介抱する。靖子は村岡組々長の姪で特攻隊の戦争未亡人であった。村岡組組員となった山中を村岡は高梨国松に預けるが、山中が靖子と関係をもったことに激怒する。若衆頭の松永弘は山中をほとぼりが冷めるまでとして、九州飯塚の組に山中を預ける。山中は滞在先で敵対する組の組長を射殺し迷宮入りさせたヒットマンとして裏社会で知られるようになる。正式に村岡組若衆として盃を交わす。

大友勝利は競輪場の利権をもとに規模を拡大する村岡組を静観するだけの大友連合会(父親が組長)に見切りをつけ、村岡の兄弟分の時森勘市を味方にして、博徒大友組を結成する。勢いに乗り勝利らは村岡組の事務所を次々と襲撃する。村組岡大友組との仁義なき抗争の幕開けであった。村岡は松永や山中のおかげで助かるが、報復として山中に時森の暗殺を命じる。山守は山守組と無関係となっていた広能に時森の身柄を預けようとした。最初は広能は断ったが、組の資金が乏しいことから引き受けた。時森を追って呉に来た山中は、広能組を結成した広能と再会する。山中は刑務所時代の広能に義理があるため強引に殺そうとはせず、広能も広島の争いに巻き込まれることに嫌気がさし、時森を広島で引き渡して解決しようとした。時森はこの動きを察知し逃げる。広能は配下の島田に時森を殺させて、広島の抗争が呉に波及することを避けようとした。

基本事項[編集]

配役[編集]

関連事項[編集]