仁科盛政

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仁科 盛政(にしな もりまさ、生没年不詳)は、戦国時代武将甲斐武田家家臣。父は仁科盛康で嫡子[1]。仮名は孫三郎[1]。養子に武田信玄の5男の仁科盛信がいる。盛政の事跡には不明な点が多いが、永禄10年(1567年)を最後に史料には現れず、一説にこの翌年に謀反の罪で殺されたとも没落したともされている[2]仁科氏の家督・領土は盛信が相続した[2]

脚注[編集]

  1. a b 柴辻俊六 『武田信玄大事典』新人物往来社、2000年、P73
  2. a b 柴辻俊六 『武田信玄大事典』新人物往来社、2000年、P74

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六 編 『武田信玄大事典』(新人物往来社、2000年)ISBN 4-404-02874-1