五ヶ所城
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五ヶ所城(ごかしょじょう)とは、三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦城山にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
五ヶ所浦の町の北東およそ200メートル、馬山の山裾が愛洲川に落ち込む辺りにある小さな丘にあった城である。
この城は南北朝時代以前から伊勢国南部に勢力を持っていた愛洲氏の居城で、その祖である愛洲宗実は北畠親房に従って北朝と戦って活躍した。愛洲氏は室町時代でも北畠氏に仕えたが、戦国時代になると愛洲重明が北畠氏から離反して対立。天正4年(1576年)に織田信長の次男で北畠氏の家督を相続していた織田信雄に攻められて落城し、重明は迫子の春湖庵まで逃れると、そこで自殺した。
現在は城跡は竹林に覆われ、城の面影は残っていない。ただ、空堀跡や愛洲一族の墓などが残されており、これらは三重県の史跡に指定されている。城跡付近には椿が多く植えられており、さらに山腹は蜜柑畑になっていて、散策のスポットになっている。南にある五ヶ所湾、獅子島を眺望することもできる。