于詮
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于 詮(う せん、? - 258年)は、中国の三国時代の呉の武将。
生涯[編集]
魏で諸葛誕の乱が起こると文欽や唐咨と共に援軍の大将として寿春城に入城する[1]。しかし当時魏で政権を掌握していた司馬昭の大軍に寿春は包囲されて降伏者が続出する[1]。
このような中で于詮は「敵に降るなどわしの取るべき道ではない」と言ったという(『晋書』)。そして兜を脱いで魏軍に突撃して戦死した[1]。
『三国志演義』では第111回で登場し、史実どおり寿春城に籠もって援軍の大将として戦う。しかし内通者の手引きにより落城は必至となり、魏の王基から降伏するように呼びかけられるが節義を守って戦死した。