九鬼隆郷

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九鬼 隆郷(くき たかさと、安永9年10月3日1780年10月30日) - 文化5年5月30日1808年6月23日))は、丹波綾部藩の第7代藩主[1]

生涯[編集]

第5代主・九鬼隆貞の3男(5男との説もある)。養父は九鬼隆棋。正室は伊達村賢の娘。子に隆度(長男)、隆都(次男)、娘(土方雄興正室)。官位は従五位下、式部少輔[1]

父の隆貞は隆郷が生まれてからわずか2か月後の12月12日に52歳で死去したので、家督は老中遠江相良藩主の田沼意次の3男である隆棋が跡を継いだ。その隆棋は天明7年(1787年)1月に死去したため、4月に隆郷がその養子になって家督を相続し、藩主となる[1]

しかし翌年に京都藩邸を、寛政2年(1790年)に江戸藩邸を火事で失ったり、文化2年(1805年)に城下300軒余りを焼失するなど、火事で多難に見舞われる中で文化5年(1808年)5月30日に29歳の若さで死去し、家督は子の隆度が継承した[1]

脚注[編集]

  1. a b c d 『三百藩藩主人名事典3』P358

参考文献[編集]

  • 『三百藩藩主人名事典3』藩主人名事典編纂委員会 編、1987年。新人物往来社