久渡寺

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久渡寺(くどじ)とは、青森県弘前市坂元字山元に存在する寺院である。宗派は新義真言宗智山派。山号は護国山観音院。

概要[編集]

その昔、この寺院は大鰐村の阿闍羅山中にあって興福寺と称していた。円智という僧侶がその寺を小沢の地に移して、小沢山観音院救慶寺と改めたという。江戸時代に差し掛かる慶長年間に寛海という僧侶が中興して堂宇を回収した。そして元和元年(1615年)に弘前藩主・津軽信枚から寺領として100石を寄進されたのを機に、この寺は藩主の庇護を受けるようになり寺運が興隆した。

寛政4年(1792年)、火災により全山まるごと焼失する。しかし弘前藩主の手厚い庇護により、寄進を受けて堂宇は再建された。文久3年(1863年)に今度は雪崩によって堂宇が倒壊してしまう。これも藩主の手厚い庇護により再建されたものの、間もなく明治維新により藩主の庇護を受けられなくなると一気に寺運は衰退した。

現在では弘前市街の市街地の南およそ8キロの標高663メートルの久渡寺山の山腹に作られた200段余りの石段を登ったところにある。境内には池があり、多くの桜の木に囲まれて本堂や庫裏などがあり、さらに石段を上ると奥ノ院がある。さらにこの寺はイタコ(巫女)の本山として有名で、円山応挙筆の幽霊画が寺宝として存在する。

アクセス[編集]