丸刈り校則

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丸刈り校則(まるがりこうそく)とは、校則で男子生徒の髪型を丸刈りにすると定め、ほぼ全員に丸刈りになることを強いる校則である。

概要[編集]

主として中学校で行われていたが、一部の高等学校でも行われていた。校則で丸刈りを定めていなくとも、部活動単位で丸刈りになることを明記或いは暗黙の了解で定めている場合がある。

中学生の丸刈り校則の源流は戦前の旧制中学校で行われていた学校教練にあるとされる。日本男児として気を引き締めるなど精神的な意味で丸刈りを強いていたのではなく、教練は相当な運動量を要する上に制帽、ゲートル、全身を保護する冬服を着用することで汗の逃げ場がなくなる上、頭部の放熱を考慮しないと卒倒する危険があったという実利的な意味合いが強かったようである。

教練が廃止された戦後、坊ちゃん刈りの流行りから丸刈り校則が定められるようになったという。

丸刈り校則実施の理由としては

  • 非行の防止
  • 伝統の維持
  • 頭髪の清潔感の維持
  • 地域住民・上級生・OBの強い要望
  • 勉学への集中
  • 経済格差の解消

などが挙げられているが、頭を丸刈りにしても非行の防止には何の影響もない事が福島県立医科大学の加藤清司教授・東海大学教育研究所の平野眞氏が発表した「男子中学生に対する『丸刈り』指導の効果に関する研究」で証明されている。

80年代後半頃から丸刈り強制による生徒・家庭と学校の間で軋轢も起き、校則に反した髪型の生徒を卒業アルバムの写真から外す、丸刈りを拒否した生徒を卒業式に出席させないなど問題事案が発生。丸刈り校則は2020年代を前にしてほぼ全廃されている。

事案[編集]

  • 1958年
    • 4月 - 茨城県立上郷高等学校で丸刈り校則改正運動を行った生徒が退学処分となった事件で水戸地方法務局が茨城県教育庁へ「長髪禁止は人権侵害のおそれがある」と勧告を出す。
  • 1974年 - 埼玉県の大井町立大井中学校の丸刈り指導について日本弁護士連合会(日弁連)が人権侵害と認定し、大井中学校校長に勧告を出す。
  • 1984年 - 反管理教育を掲げたミニコミ誌である学校解放新聞が創刊。丸刈り校則問題が広くメディアで取り上げられるようになる。
  • 1985年
    • 11月 - 熊本地方裁判所は玉東町立玉鳥中学校の丸刈り校則の無効確認と不利益処分禁止、損害賠償を求めた訴えを棄却。丸刈り校則が一度法的に肯定される。
  • 1988年
    • 3月 - 清水市立第二中学校で、校則に反した髪型の男女4名を卒業アルバムに掲載せず、花壇の写真に差し替える。
    • 4月 - 文部省初等中等教育局長は各都道府県教育委員会へ清水市での事件をきっかけに校則見直しの指示を出す。
  • 2000年 - 「中学校の丸刈り校則をなくす会」のホームページが立ち上げられ、熊本県の中学校の丸刈り校則全廃に向けてインターネットを駆使した市民運動が始まる
  • 2002年
    • 3月 - 熊本県宇土市立鶴城中学校で丸刈りを拒否した男子生徒の卒業式出席を拒否する。
    • 6月 - 熊本県鹿央町の米野岳中学校で丸刈りを拒否した男子生徒に中体連主催大会へ出場しないように迫り、出場を辞退させる。