中津留藩
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中津留藩(なかつるはん)は、江戸時代初期のわずかな期間に豊後国に存在した藩。藩主家は譜代大名の大給松平家。石高は2万2200石。藩庁は中津留陣屋。現在の大分県大分市に存在した。
概要[編集]
寛永12年(1635年)4月、豊後国速見郡の亀川藩主の松平忠昭が藩庁を中津留に移したことにより、中津留藩が立藩する。ただし、当初の藩庁は当地の庄屋である平右衛門の自宅を仮の藩庁としていた。寛永13年(1636年)になって書院が完成して忠昭はこちらに移った。
忠昭の所領は大分郡・直入郡・速見郡・珠洲郡4郡92村で2万2200石であった。寛永14年(1637年)、忠昭は島原の乱鎮圧に参加し、戦後に富岡城の城番を務めている。
寛永19年(1642年)、忠昭は豊後高松藩に移り、中津留藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 大給松平家
譜代。2万2200石。