上井覚兼日記
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上井覚兼日記(うわいかくけんにっき)とは、上井覚兼の日記である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は島津貴久・島津義久父子に仕えた家臣・上井覚兼。日記は天正14年(1586年)を最後にしているので、この年に成立したと見てよい。
別称は『上井覚兼日史』(うわいかくけんにっし)、『上井覚兼日帳』(うわいかくけんにっちょう)、『上井伊勢守日帳』(うわいいせのかみにっちょう)、『伊勢守日記』(いせのかみにっき)。
内容[編集]
全27巻。上井覚兼は貴久時代からの重臣で、特に義久に重用されて島津家の奏者、老中(談合衆)に抜擢された。この日記は天正2年(1574年)8月から天正14年(1586年)までにわたるもので、戦国大名である島津家の内情や、覚兼の公私にわたる生活が記録されている。ただし、日記には幾らか欠失部分も存在している。
島津義久の重臣として仕えた人物の日記であるため、島津氏に関係する事件、政治、訴訟、戦争などがよく描かれている。特に大友宗麟との戦いについては詳しく書かれており、合戦における内情なども書かれている。私的なことでは自らの家族についてや連歌、俳句、読書、能、茶の湯などの文化面に及んでいる。
この日記は天正年間における島津氏の根本的な史料として評価は高く、また戦国時代の実情や武士の生活を描いている点、家臣団の動向、上方文化の受容などが描かれているところからも貴重な史料と見られている。