三甲みつお

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三甲みつお (さんこう―)は日本ハガキ職人。投稿者。別名・土、テキサスコンビ主義。

人物[編集]

1986年頃は「いじめに勝て」名義で『ホットドッグ・プレス』の「ぱっくんぷれす」に投稿。常連になるも大リニューアル後に、コーナー自体のレベルが上がってついていけなくなる。ぱっくん投稿者の大半が投稿していた『週刊文春』の「糸井重里の萬流コピー塾」には参加していたが、コピーライトが苦手だったせいか全体を通して2回しか掲載されていない。

平凡パンチ』「パンチトーキングジム」では、テキサスコンビ主義名義で投稿し、「バカとエッチ」の編集方針が水に合ったのか、平凡パンチ休刊まで常連となる。

1988年頃、矛先を変えて『ガロ』の4コマガロに投稿し、師範に選ばれたこともある。その後の師範改選で票が集まらずあえなく落選。そのことが不満だったのかガロを離れて『COMIC Mate』に参戦するも鳴かず飛ばずで、はぎの屋に一発お見舞いされて消える。

直後に「土」と改名して、はぎの屋引退後に人気者になったかもいけをネタにして4コマ漫画の投稿を開始、4コマガロ元師範の力量発揮かと思いきや、謎の投稿者・4コマ仮面[1]の後塵を拝しここでも目立たず。尊敬していた神田おすのりに「おまえは、土センセみたいになるなよ」と他者のコメントで引き合いに出され、馬鹿にされる始末。三番手の漫画誌『ヤケッパチ』で小渕首相をネタにした漫画でちょこっと注目を浴びる。現在は漫画屋漫画誌も離れて行方知れずである。

他には『ゲーパラ』時代の『光栄歴史パラダイス』に1度だけ掲載されている。競馬ネタの投稿は『夢はターフを駆け巡る』という単行本送りになった模様。

ゲーム関係と言えば、『ゲーム批評』は一度もかする事が無かったという。

週刊SPA!』の「バカはサイレンで泣く」にも挑戦していたが、1年間で2回しか掲載されなかったらしい。しかもペンネームを馬鹿にされるというおまけ付き。さらにソフトバンクの『ザ・プレイステーション』の読者コーナーにも投稿していたがこちらは全敗したそうである。

絵はかなり下手くそで、ネタは自虐ネタが多い。ペンネームは漫才師・テキサスコンビの三田みつおから拝借した。ファンだったらしい。

脚注[編集]

  1. かつて人気があったものの塩山芳明に開かず組にされた有名投稿者の変身だと言われている。