テキサスコンビ

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テキサスコンビ1980年代に活動していた漫才師。主として新人芸人のオーディション番組に出演していた。

概要[編集]

アフロヘアにメガネが兄の三田みつお(矢田鉄男 1953年5月12日 - 1987年12月4日)。服装はグレーのチョッキにコンビ名入りのネクタイ。おかっぱ頭に人民服が弟の三田まさお(矢田浩二 1954年7月11日‐)。大阪出身の兄弟コンビである。ボケは兄で弟がツッコミ役である。兄は高校時代陸上部にいたらしい。高島平団地に住んでおり、近所の小学生から「便所のタワシが歩いている」と言われていた。陰(まさお)と陽(みつお)の脱力感が表すハーモニーが魅力である。世に出たきっかけは週刊朝日に昭和天皇のものまねが取り上げられてからだという[1]

ネタ[編集]

主としてマジック漫才を行っていたが、後年はしゃべくり漫才も行うようになった。三田みつおの持病である心臓弁膜症をネタに幽体離脱からの霊界漫才をしていた。元ネタはおそらく丹波哲郎の霊界書籍であろう。NHKの漫才コンクールでは、一般的な漫才もしている。ネタの一つ「守護霊を変える方法」では都市伝説の“ジャンピングババア”を先取りしていた。

ギャグ[編集]

  • ふんじゃかまんじゃかごきげんさん
  • ちゃかちゃんりんちゃんりんちゃんりんりんのスッポンポン
  • 一里歩いても臭い、二里歩いても臭い、臭い臭いと思ったら、鼻の頭に💩乗せてた。

交友[編集]

とんねるず木梨憲武がこのコンビの事を好きで、番組の企画で過去の『お笑いスター誕生!!』のVTRを視聴中彼らが出た時「うわ!テキサスコンビだ!この人体重40キロしかないんだ」と叫んだ。

三田みつおが急死した後に、ペコちゃんら『ザ・テレビ演芸』の出演者が集まって「三田みつおを偲ぶ会」を開いた。なお、その年に『スタジオボイス』が「1987年に死んだ人特集」を記事にしたが三田みつおの名前はなかった。

出演番組[編集]

  • お笑いスター誕生‐頭にナイフを刺したり、ビール瓶を割ったり、変な芸で3週勝ち抜く。まともじゃない芸では当時日本一ではないだろうか。
  • ザ・テレビ演芸‐ざ・まんだらーず(春風亭昇太がいた)の三週目で敗れた後、三週勝ち抜き。無制限勝ち抜き戦では蛍雪次郎一座の11週目に挑戦して、ハイライトとキャラメルの箱を並べるマジックをして熱戦を繰り広げ、惜しくも敗退した。その対戦で花井信夫に「これは、ナスビや」の間が惜しかったねと言われている。そんな僅差で負けたのだった。横山やすしには「香具師の漫才やな」と言われている。横山やすしは「芸人は汗をかいたらアカン」と主張していたが(あの激しいアクションのアゴ&キンゾーまで言われた)、テキサスpart2には何も言わなかった。
  • ひとくち寄席 - 石鹸箱マジックや、カンボジアマジック、風船を割ってカードを出すマジックを披露。
  • NHK漫才コンクール‐のちにNHK新人演芸コンクールに模様替えした時も、漫才代表として参加していた。ネタは「世相ガイダンス」その前のネタは、ちょっと時代的にワンテンポ遅れてるかなと思う日本昔話のパロディをしていたが、漫才コンクールのお客さんにとってはちょうど良かったようだ。それでNHKと縁ができ、NHKの敬老の日の寄席中継に登場し、紙切りで雪だるまを作るネタを披露していた。マギー司郎との共演だったと思われる。
  • とびだせものまね大作戦-再確認はできないのだが、一般人と混ざって参加して「人類の進化」の物真似をしていた。このネタはパントマイマー中村ゆうじが受け継いでいる。


雑誌[編集]

週刊大衆南ももこの本番対談に出て、オバコン(老女好き)をカミングアウトしていた。普通の女性と結婚しているので、たぶんフェイクだと思われる。

エピソード[編集]

よく芸名をマイナーチェンジしていた。てきさすコンビ、てきさすパート2(part2)、テキサスこんび、といった具合である。

その後[編集]

みつおの死後、三田まさおはニューテキサスコンビを結成。中島まりと組んだテキサススリーを結成してた。両グループの相方は清水英明。2020年頃の笑組のポストにより警察官役で喜劇に出ている三田まさおの姿が見られる。年代は不明。

脚注[編集]