平凡パンチ

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平凡パンチはかつてマガジンハウス(旧平凡出版)より発行されていた若者向け雑誌(週刊誌)。一時期は『週刊プレイボーイ』と人気を二分していた。

概要[編集]

1964年4月に創刊し、学生運動が盛んな頃は「右手に朝日ジャーナル左手に平凡パンチ」と呼ばれていたが、やがてライバル誌の『週刊プレイボーイ』に抜かれてしまう。そのためリニューアル策として版型を大きくして売りのヌードグラビアの迫力を増し、さらに表紙をサトウサンペイにしてインパクトを狙い、とどめに読者投稿コーナー「トーキングジム」でテコ入れを図った。一時は成功したかに見えたが、大型版型の男性誌は『GORO』もあったので、いつの間にか版も小さくなり、サトウサンペイも消え、トーキングジムだけが残った。

末期になると編集者も開き直ってしまい「バカとエッチ」を売り文句にするようになってライバル誌『週刊プレイボーイ』から「ぐわんばれ平凡パンチ」という屈辱的な特集記事を書かれてしまう。その後も来日したマイケル・ジャクソンがマガジンハウスを訪問した際に、パンチ編集部だけをスルーするなどの事件があったが。最終的にとどめを刺したのは『パンチザウルス』への誌面変更であった。ガロ系漫画家を多数起用し、かなりマニアックな内容は業界人の度肝を抜いたが、部数は信じられないほど低迷し、『パンチザウルス』は廃刊になった。

特徴[編集]

末期にはガロ系漫画家を起用したり、プロダクション人力舎のタレントである、ぶるうたすを誌面に出させたりしていた。とり・みきの『愛のさかあがり』は「オジギビト」の収集などで話題作になった。

関連語句[編集]