4コマガロ

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4コマガロは、雑誌『ガロ』の読者投稿ページである。

沿革[編集]

開始時期ははっきりしてないが、1988年4月ごろと推定される。当初は「四コマ画廊」というタイトルだった。また、ポイント制であり、高得点者には賞品が予定されていた。最初は読者サロンにお邪魔していたが、だんだん投稿数が増えてきたので連載に至る。ここ出身のガロ入選者は宮上ホトリを始めとして4名ほどおり。プロデビュー組もジョ二村へろ美ほか4名ほど確認できる。

もともと「勝ドン」「のりまん」「のい札」「のみ札」と続く絵系の読者コーナーの流れである。

第8回には東西戦が行われる。西日本の参加者が少ないせいで東軍の勝ち。

第9回目で100ポイントたまった人に対して4コマ免許皆伝の証書を与えると発言。

第13回目でサルたろうが師範になる。

第17回目でポイント制廃止。12名の師範が生まれる。他にはハヲリ、おみくん、三甲みつお[1]

第21回目で二度目の東西戦。西軍が勝つ。

第25回で名誉師範が生まれる。

1990年7月15日に白取千夏雄の手によって4コマer通信開始   第31回で師範改選。師範は5名。サルたろうは残る。名誉師範と下ネタ担当が一名ずつ。この月からお題が出る。

第35回、某投稿者の「エチル爺ィ」シリーズ絶好調。

第36回、新人祭り。

第38回、水木しげる特集でお休み。次回に順送り。

第40回以降、隔月になりがち。

第48回ごろから写真やイラストが載り始める。

第49回、編集がDTPになる。

第51回、某投稿者の「スリルハカセ」が連載になる。

第56回、ねこぢるバッヂが賞品になる[2]

時期不明、福満しげゆきが同コーナーに参加。その独特の作風から注目を浴び、本誌入選後デビューする。その後の活躍ぶりは皆さんもご存じのとおりである。

脚注[編集]

  1. 本名での投稿者が多かったので、名前を書けないのはプライバシー保護のためである。
  2. 以後、資料がないので書けません。悪しからず。