三田城

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三田城(さんだじょう)とは、現在の兵庫県三田市屋敷町1-20にかつて存在した日本である。城とあるが、実際は陣屋規模と見られている。

概要[編集]

この城は現在の三田市の市街地に突出した丘陵の先端に存在した城である。元々、この地には車瀬城が存在した。

江戸時代前期の寛永10年(1633年)に志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6000石で三田藩に入り、車瀬城跡に新たに三田城という平山城を築き上げたのが、当城の始まりである。なお、久隆は織田信長に仕えて九鬼水軍を率いたことで知られている九鬼嘉隆の孫である。ただ、九鬼氏は家格の問題もあり、三田城の規模は実際は陣屋程度であったと見られている。

城跡は現在の三田小学校があるところで、東西は160メートル、南北は80メートルほど、有馬高校実習園が2の丸跡と見られている。現在は三田小学校と有馬高校の間にわずかに堀が残る程度であり、これが往時の城の面影を伝えている。有馬小学校の校門の傍に城門碑が存在する。

なお、三田藩は久隆から13代を無難なく過ぎ、九鬼隆義の時代に明治維新を迎えて廃城となった。

アクセス[編集]

  • JR福知山線三田駅下車、または神戸電鉄三田駅下車、そしていずれも西へ徒歩15分(1.2キロ)で、三田小学校を目指す。
  • 中国自動車道神戸三田ICから東へ約17分(5.9キロ)、三田小学校を目指す。旧九鬼家住宅前のコインパーキングか旧九鬼家住宅前西側の駐車場を利用する。

関連項目[編集]

  • 心月院 - 九鬼家菩提寺(歴代藩主および一族の墓石が遺存)
  • 金心寺 - 山門が現在の神戸地方法務局三田出張所付近にあった旧三田藩御下屋敷の黒門(※移築に際して改変されている。古写真によると脇門附の薬医門である)
  • 旧九鬼家住宅資料館 - 三田藩家老を代々勤めた藩主一門家の旧宅

外部リンク[編集]