三好記
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概要[編集]
著者・成立年代[編集]
成立年代については江戸時代前期。少なくとも寛文2年(1662年)以前となる。著者は阿波国出身の医師・福長玄清。この著作については江戸時代に阿波国を支配した蜂須賀氏の重臣・長谷川貞恒の要請によるという。
別称は『三好軍記』(みよしぐんき)。
内容[編集]
上中下の全3巻3冊。戦国時代に四国や畿内で勢威を振るった三好氏の30年間における興亡を記した実録である。
江戸時代前期の後代資料だが、信頼性を強調するために著者が序文にわざわざ「故老の口碑」「民間の私記」、あるいは三好氏に仕えていた著者の祖父や父の聞書などにより、著作を完成させたと記している。
上巻は10章、天文22年(1553年)に三好実休が細川持隆を滅ぼしたこと、三好長慶の病死など。中巻は13章、実休の跡を継いだ長治が暗愚であったため、多くの失政により一族や家臣に背かれて滅亡する経緯を中心に、三好氏の畿内の情勢など。下巻は13章で、長治の死後に十河存保が跡を継いだが、長宗我部元親に攻められて四国を退去し、元親の四国制圧に至る経緯が描かれている。
この著は、この手の軍記としては珍しく題名にあるように三好氏にバイアスが置かれておらず、三好氏の行為でも非は非として描いており、軍記ながら信頼性は高い。元禄4年(1691年)にはこの著の論評を加えた『三好軍記評判』も成立しているし、他の著書にも影響を与えている。