三好夫人 (松永氏)
ナビゲーションに移動
検索に移動
三好夫人(みよしふじん、生没年不詳)とは、戦国時代の女性である。実父は大和国の戦国大名・松永久秀で、織田信長の養女になったと言われている。
略歴[編集]
松永久秀の娘と言われている。元亀元年(1570年)に浅井長政・朝倉義景・三好三人衆などによって各地を攻められて危機的な状況にあった信長は、浅井長政や朝倉義景とは足利義昭や正親町天皇を通じて和睦を画策する一方で、三好三人衆に対しても松永久秀を通じて和議を画策した。
三好三人衆も信長との和睦を望み、その条件として久秀の娘を信長の養女にして三好氏(名は不明)に嫁がせることを条件とした[1]。
元亀元年11月12日(1570年12月9日)、美濃国岐阜城にあった久秀の娘が信長の養女となって三好氏に嫁がせることが決定された[2]。
ただし、これは和睦の代償としての人質の意味合いが強いと考えられている。その後、この養女の行方に関しては一切が不明となっている。